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物が増えることの豊かさ、心の豊かさなど、人ぞれぞれにとっての豊かさがありますが、ここではザ・グランの他、ノーベル経済学者や歴史的影響力のあった美術評論家の「豊かさ」の思想について取り上げました。
これらの思想家の豊かについての思想では、モノを作ったり、自由を獲得するなどの一方で、自分自身が豊かさを享受するために変わっていく必要があり、またそれを能力としている点は興味深いところです。
なにを豊かさととらえるのかについてのセンスや経験は、住まいづくりにおいても大きく影響します。
それは住宅ビルダーの力量であり、施工事例を見ることで感じとることができるかもしれません。
豪華だけが豊かさでしょうか。私たちザグラン建築設計は本物の素材を使った上質さと、「心が落ち着き、心地良い」と感じる建築空間の演出が、豊かさにつながると考えています。
たとえば、素材選び一つとっても、ただカッコいい、高価だからで選ぶのでななく、細かな質感や産地、他の素材との組み合わせなどを考慮し、選定しています。
例えば、同じような連続する空間があったとしても、素材のつながりや、色合い、高低差によって全く別空間に仕上げるなど。
ここが建築の素晴らしいところです。
テラスがリビングと一体に見えたり、あえて低い空間を作ることで、その先の開放感につながることも。
ザ・グランでは様々な設計手法を用いて、素材と空間を最大限生かすことを意識して設計しています。
右上の写真は当社のお客様のセカンドリビングを時計回りに写したものです。2階に位置しており、メインのリビングからの吹き抜けとタイル張りのテラスと隣接しています。
このスペースは、ご友人が来た際にリビングの家族に気をつかわず、ゆっくりと談話を交わすことができる、おもてなしのお部屋として使用できます。晴れた日にはテラスにでて遠くに金華山をのぞみながらビール片手に語らい合うこともできます。
また静かに本を読んだり、ちょっとした作業や寝る前のくつろぎのひと時を過ごしたり、さらにはピアノやアンプスピーカーを入れて、家族や友人とセッション...etc. 様々な使い方ができるフリースペースです。
豊かさとは何かを定義づけることは難しいですが、大切な人たちとのコミュニケーションを楽しんだり、自分と向き合うための時間を作ったり、家族と一緒に何かをするための快適で自由な空間があるということも豊かさと考えています。
そしてその空間をより上質なものとして仕立てることで、家族とのなにげない会話一つでさえも、かけがえのない大切な一場面として演出するようなことができれば素敵ではないでしょうか。
(引用元:日本文明と近代西洋 川勝平太 NHK出版 p206「経済と文化」の構想)
(アマルティア)センは人間と物との関係をさぐるケイパビリティという概念を提起し、経済学に一石を投じた。
<中略>
センは「豊かさとは何か?」という問題にたいしてケイパビリティ論を生活水準の基準として提起した。センは生活水準のとらえかたを三つに分ける。第一は、GNP、GDPなどの量、第二は人々が享受する効用(心理的満足)、そして第三は人間の自由にかかわる。この第三の自由の獲得をもって生活水準の基準とするのである。
<中略>
ケイパビリティとは人間が何かをする自由、何かになりうる自由を獲得する能力のことである。人間は物を利用して自由を獲得しようとする存在である。物は自由の必要条件であり、人間はものを主体的に生かして、自由を獲得すべき潜在的・顕在的な能力を持っており、それをセンはケイパビリティとなづけるのである。
<中略>
豚は中国人なら骨の髄まで利用して楽しむであろうが、ユダヤ人には食料とならない。牛肉はアメリカ人は喜んでもインド人は見向きもせぬ。食物の絶対量ではなく、利用する人間の主体的条件が問題なのである。センは、物をどのように利用するかを決める基準が、国民、民族、個人それぞれがもつケイパビリティであるという。
<中略>
ケイパビリティとは、ものを必要条件としつつ、これを生かしていく潜在的・顕在的な主体的能力である。センは「物産と人間」(in Resoucs, Values and Development,1984)という論文の中で「経済的繁栄自体は目的ではない。なぜ繁栄が問題となるかと言えば、煎じつめれば、経済が成長しなければ行く末ケイパビリティが損なわれかねないという危惧がはたらいていることがわかる」と論じている。ケイパビリティは自由の条件として提唱されているのである。
センのケイパビリティアプローチにより、豊かさはモノそれ単体ではなく、それがどのような文化・生活習慣的コンテキストに置かれているのか?が大切であることに気づきます。豊かさが文化的側面から経済学的に語られているという点は新鮮です。
(引用元:日本文明と近代西洋 川勝平太 NHK出版 p215「経済と文化」の構想)
(アマルティア)センの近年の仕事を別とすれば「人間にとって富とは何か」について正面から考察したのは唯一ジョン・ラスキン(1819-1900)をあげるのみである。
<中略>
マルクスは政治(階級闘争)の経済学的基礎づけをおこない、ラスキンは文化の経済学的基礎づけをおこなった。<中略>マルクスとラスキンの経済論の決定的相違は「富」の定義にある。マルクスは富の量にこだわり、ラスキンは富の質を問題にした。すなわち、マルクスは資本主義社会の富を「商品集積」とみなし、つぎに商品の価値を使用価値と交換価値の二つに分け、そして、その二つの価値のうちマルクスは交換価値に分析を絞った。マルクスにとって価値は量の問題に集約されたのである。
ラスキンは社会の富を「価値ある物」と定義する。つぎに「価値」を定義し、価値には二つの属性があるとする。一つは「本有的価値 intrinsic value」といわれるもので、人間にとって有用であろうがなかろうが、ものが本来的に持っている価値である。馬は乗馬用になり、小麦は食用になる。だが、人が馬に乗らなくても、小麦を食べなくても、馬や小麦の価値[本有的価値]はなくなるわけでない。もう一つは「実効的価値 effectual value」といわれる。これは物が人間にとって有用になったときの価値のことである。
<中略>
「ある物の経済的有用性は、ただその物自身の性質[本有的価値]によるだけではなく、その物を使用することができ、またそれを使用するであろう人々の数によるのである。馬は誰も乗ることができなければ無用であり、剣はだれも斬ることができないばあい、肉はだれも食べることができなばあい、無用であり、売ることができない。このように物質的効用はすべて、それと相対的な人間の能力に依存するのである。(ラスキン著「この最後の者に」より)」
物を有用にする能力をラスキンは「受容能力acceptant capacity」とよんだ。馬に乗れない人にとって馬の「実効的価値」はゼロである。しかしやがては馬に乗れるかもしれに。そのとき馬は有用物に転化する。すなわち富となる。ラスキンの「受容能力」は教育や努力によって鍛えることができるものであり、可変的なものである。この受容能力はセンのいうケイパビリティときわめて似ている。
ラスキンは「豊かさ」とは物を使いこなす、読み取る「能力(受容能力)」によると言います。「豊かさ」という言葉から比較的連想のしやすい「経済的な贅沢さ」というものがありますが、ラスキンによると経済的贅沢とは遠い質素な行いでも、そこに意味と価値をどうとらえるかで豊かさの度合いが変わるようです。岐阜、愛知は豊かな自然に環境に恵まれています。朝、窓を開ければ遠くに美しい山々、目の前には立派な樹木に鳥たちが飛び交う、こんなに美しい世界だったのかと驚嘆する感性をもつことこそが豊かになるということでしょう。自分にとって本当に価値のあることは何かを意識し、それに信頼を寄せた豊かな暮らしを心がけたいものです。
「ザ・グラン」は岐阜県と愛知県をメインにハイエンドな高級注文住宅を展開している一級建築士事務所です。「美しい住まい。上質な暮らし。」をコンセプトに専属職人と大工による自社施工の家づくりをしています。
ザ・グランの建てる家は「高級注文住宅に類するけれども、いわゆるゴージャスの延長にある高級感ではなく、素材やゆとりのある空間設計にこだわった品性を感じる家」。
「本当に価値ある住まいとはなにか?」を探求し続けるザ・グラン若原代表の建築への思い、本物へのこだわりに共感し、高級注文住宅の新しいあり方について考えるため、Zenken株式会社レジデンス編集チームが当サイトを立ち上げました。
岐阜の恵まれた自然環境の中、若い感性で豊かな暮らしの本質を追求する「ザ・グラン」のご協力をえて、「本当に価値ある住まい」について探っていきます。
(本サイト名「○△□ 岐阜の高級注文住宅」は禅僧の仙厓義梵が描いた「○△□」<出光美術館蔵>に感じる単純さ、ユニークさ、本質志向、自由さなどのイメージにちなんでいます。)